おすぎです。

僕は今、メキシコシティからバスで3時間半、グアナファトという世界遺産の街でこの記事を書いています。

サンフランシスコ。ずいぶん昔のことのように感じるけど、たった2週間ほど前のことか…。




















サンフランシスコもまた、僕がこの旅で訪れた中で間違いなく印象に残る思い出の地になりました。




















それはゴールデンゲートブリッジの勇姿によるものではなく




















ロンバートストリートや




















フィッシャーマンズワーフ




















フルハウスの家といった観光名所によるものでもなく





















ヒロさんというサンフランシスコ在住の素敵な日本人の方と一緒に過ごせた3泊4日だったからです。

ヒロさんは僕の知人の甥にあたる人で、今回に世界一周の旅でお会いしてみたかった人の1人でした。

サンフランシスコでの四日間は終始お天気に恵まれ、ヒロさんの運転&観光案内のもと、これでもかっていうくらい、サンフランシスコの魅力を味わいつくすことができました。




















坂の上からサンフランシスコ・ベイを望む。映画にもなった監獄の島「アルカトラズ」が小さく写っています。

20年以上前、右も左も分からないまま単身アメリカにやってきて、慣れない土地で必死に生きてきたヒロさん。
そして今、サンフランシスコの郊外に一軒家を持ち、配偶者とたくさんのチワワに囲まれて暮らす幸福を得たヒロさん。

そこに至るまでの艱難刻苦を思うと、いくら想像力の乏しい僕という人間でも、それがささやかな偉業であることくらいは理解できますし、
グローバルとは程遠いところにいる、すぐに自分の殻に閉じこもって慣れた環境でぬくぬくと怠惰な生活をしてしまう僕にとって、きっと刺激的なお話を伺うことができるだろうっていう期待に胸を膨らませて訪れたサンフランシスコ。

ヒロさんの運転する車でそんな貴重なお話を数多く伺いながらみたサンフランシスコの風景は、本当に最高でした。




















↑ここのオイスターバーで、ヒロさんから「生牡蠣にはビールじゃなくてシャンパンだよ。しかもロゼ」というご託宣を頂戴して試してみたところ、感動して言葉を失う美味さでした。
さあみなさんもご一緒に。「生牡蠣には、ビールじゃなくてシャンパンだよ」(字余り)

それからセレブの街、ノブ・ヒルの高級ホテルのバーで飲んだマティーニとバーからの夜景とか
























































ナパ・バレーのワイナリー巡りとか、





























































サンフランシスコ到着後すぐに連れていってもらった、サンフランシスコの、中産階級(であろうと思われる方々の)バースデーパーティーとか。





















どれもキラキラしてて、素敵な思い出ですが、やっぱり印象に残っているのは、ヒロさんの四半世紀に及ぶアメリカでの奮闘記。

大変にパーソナルなお話でありますのでここでそのことについて詳しく書くことはできませんけど、

自分史の中に、9・11同時多発テロが出てくる人に僕はあったことがなかったので、本当に刺激的でした。
(ヒロさんはあのテロのことを「ナイン・イレブン」といっていて、僕はしばらく何の話をしているのかわからなかった💦)

自分の凡庸さ加減が恥ずかしかったですが、そんな僕に4日間もお付き合いしてくれたヒロさん、ほんとうにありがとうございました。

「また絶対きてね」

何度もそういって空港まで見送ってくれたヒロさん。

絶対きます!

そしてこのご縁を作ってくれたクリタさん(仮)、本当にありがとうございました😊

そしてまた僕は、1人の世界に戻るべくこの穏やかな街を後にしたのでした。

【お知らせ】
セブ島に語学留学に行ってから早半年。その時思ったこと、自分の思い、そして「1人で生きること、1人で旅すること」について駄文を重ねて来ました。
しかしながら、この「ひとり」に言及するにあたって、どうしても避けて通ることのできない出来事がこの旅中にありました。
自分にとってはずいぶん象徴的な出来事で、かつとてもショックなことでもあったため、折に触れて言及して来ましたが、僕の未熟さゆえ、そして文才の無さゆえに、その出来事に触れることで、一部の方に不愉快な思いをさせていたようでした。
ともすればその方のご親族やご友人も、このブログを読まれて気分を害されていたかもしれない可能性について指摘され、今更ながら大変申し訳なく思っています。

自分が何かを表現することで、傷ついたり、不快になったりする人がいる…。

そもそも半分は自己満足で始めたブログ。それが他人に不快を与えていると知らされ、とても恥ずかしく、情けなく思っています。

このブログを続ける意味について考えてみましたが、積極的な理由を見つけることができそうにもありません。

つきましては、唐突ではありますが、この投稿をもって、このブログは終了させていただきたく思います。

誰が読んでくれてるんだろう?そう疑問に思いながら続けてこれたのは、今これを読んでくださっているみなさんのおかげと、自分という過渡的な人間に対する、自分自身の好奇心でした。

短い間でしたが、どうもありがとうございました。
そして不愉快な思いをされた皆様、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
本当に申し訳ありませんでした。

(終)

✳︎過去投稿は、インターネット環境が整い次第、一部を残して早急に削除します。勝手とは思いますが、今しばらくお待ちください。
 

おすぎです。

標高約3700m、ボリビアの(実質上の)首都、ラパスに行ってきました。




















ケーブルカー乗り場。標高なんと3689m!富士山の標高が3776mなんで・・・。しかもこれ、ここから上に上がるケーブルカーです!

この街、周囲を山に囲まれた、すり鉢状の山肌に開かれていった街で、標高が低いところには富裕層が、高いところには貧困層が居住するんだとか。





















日本ではこの様な区別はあまり強く意識されることはありませんが(無いわけでは決してない)
外国ではむしろ一般的なことで、

格差が拡大してきているとはいえ、未だ階層間の流動性が比較的高い日本とは根本的に異なる価値観にドライブされて生成されてきた街なんだな、ということをひしひしと感じます。




















この街、危険と言われる南米でも特に治安が芳しくないところで、
ケチャップ強盗、首絞め強盗などによる邦人の被害もしばしば報告されているんだとか。





















そんなわけで、ぼくの防犯意識も最高潮に。

まぁ「防犯意識」と言えば聞こえはいいんですが、ぼくの場合は早い話、めっちゃビビってビクビクしながら街を歩いていた、ということなんですが…。

あまり頻繁にカメラをバックから出すこともできず買い物もせず、ひたすら歩いた街には、
たしかにこの国の貧しさーつまり社会的な諸矛盾ーを映し出すかの様に、物乞いや浮浪者が至る所で力なく彷徨い、あるいは座り込んでいました。








































上の看板のあるエル・アルト地区は標高4000m以上。世界で一番高いところにある空港付近です。

この街には当初、ウユニ前とあとの都合2泊する予定でしたが、あいにくチリからボリビアに飛ぶ便がキャンセルになったこともあって結局一泊しかできず、

さらには到着した瞬間から降り出した滝の様な雨で、名所という名所はほとんど回ることはできませんでしたが、
唯一、この都市の名物言える「下から眺める夜景」を、宿泊先の屋上テラスから楽しむことができました。










































日中、タクシーの車窓からみた、山肌に沿って駆け上がる様に稠密に建てられた住宅地が作り出す奇景をカメラに収めることができなかったのは残念。

この「全体としては美しいが、それを構成する部分や細部は必ずしもそうではない」というのが、なんだか人間らしさの本質を、そのまま映し出している様な気もします。

先進国の大都市のような作られた感じではなく、等身大の人間の諸活動から自然に形作られていった感のあるこの街。

貧しさと豊かさ、絶望と希望、現実と空想、
互いに相反する様々な価値観が決して混ざり合うことなく背中合わせに共存しながら、
その全てを飲み込むようにして足早に時間の過ぎていくこの街。

こういう場所で、人はどうやって自分の居場所を見つけていくのか
ーつまりは自分のアイデンティティを確立していくのかー。

わずかな時間の滞在ではありましたが、日本にいては頭に浮かんでくることのない雑多なイメージに包まれながら過ごせたことは、
たった一泊二日のみのこの街での滞在における貴重な体験だったかなという気がしています。

おすぎです。


11日間のクルーズを終え、南極から今日、ウシュアイアに戻ってきました。

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2017年2月16日、念願の南極大陸への上陸を果たしました。上陸の瞬間は雨でしたが、時間が経つにつれて雲が切れて晴れ間が顔を覗かせます。本当に感動的な瞬間でした。

しばらく更新が途絶えてしまったのは、南極にいたからです。


いや、幾らかお金を払えば、クルーズ船のインターネットに接続できたんですけれど、


貧乏旅行者である僕は、そういうところではお金を使うのを我慢して、

ウシュアイアに戻った今、船が到着した港近くのカフェでこのブログを書いているというわけです。


ただ、正直に言って、今回のブログは書くのが難しいなぁと思っています。


それは僕が南極で見たもの、経験したことが、

僕の手持ちの表現力や語彙力では到底現しきれない、本当に素晴らしいものだったからです。

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空の青と、海の青と、雲の白と、氷河の白。それだけのシンプルな世界が、こんなにも色鮮やかであることが信じられませんでした。360度、見渡す限りこの光景がどこまでも広がっている、それが南極というところです。「青」「白」という言葉が実は何も説明できていない、言葉がいかに弱くて儚いものかを痛感せずにはいられない世界、それが南極だということもできるかもしれません。

南極を旅するということや、南極という世界の美しさ、素晴らしさについて何かを語るには

「南極について、僕は決して正確には書けない」

「南極の美しさを、写真に収めることはできない」っていう告白のような、

このとっちらかった感じの文章が、一番誠実でかつ合目的的だろうと、少なくとも今の自分には思われます。

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この写真は少しわかりにくいんですが、「グレーとブルーのコントラストの美しさ」っていうのが南極の特徴の一つかと思います。実はこの氷河、青く光る物質は何も含んではいないそうです。


「南極でも米ドル使えるよ」とか、

「環境省に提出する書類、忘れずに!」みたいなトリヴァルな情報


「南極に連れてってくれたみんなに感謝!!」

「ありがとう!南極最高!!」


みたいな、旅人さんのエクリチュールで書かれる楽しい旅人ブログ調のテクスト


心優しい日本人旅行者の皆さんや、陽気なメキシコ人のルームメイト、

いつもはにかみながら話しかけてくれるアイルランド人のブロンドの女性、

7ヶ国語を操るという、僕と同い年くらいのマレーシア人の男性や、

何かにつけて、声をかけてくれたいろんな国のいろんな仲間たちとの出会いと交流について書くことで、


あるいは、

「もうこれ以上の経験はないやろう」っていう僕の予想を良い意味で、毎日毎日裏切ってくれる、ペンギン、アザラシ、そしてクジラといった野生動物との出会い

について、ドラマティックに書くのも良いかもしれません。


事実最終日、僕が乗る小型ボートにクジラが遊びに来てくれて、
手を伸ばせば届く距離でクジラを見ることができたときは、本当に感動しました。
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少しわかりにくいですが、写真の一番右端で控えめにiphone片手にクジラに見入っているのが僕です。この日クジラと戯れることのできた幸運のゾディアックは三隻。そのうちの一隻に乗っていたのが僕でした。写真は別のゾディアックに乗っていた女性が撮影したもので、クジラを収めたベストショットの一つとして、船内でエアドロップ経由で拡散されまくっていた映像です。

はたまた、

フルコースで供される毎日のディナーや決して乗客を退屈させることのない、船内活動やアクティビティーの数々といったクルーズ船における日常生活のあれこれについて記すことも、

南極に興味がある人や、具体的に南極への旅行を検討している人にとって有益な情報になりうるでしょう。


そして実際にそういったことをありのまま、面白おかしくブログに書き記すことで、

あの素晴らしい体験を一人でも多くの人と共有できたらな・・・っていう気持ちはもちろん僕にもあります。


でもそういう、南極体験のいわば断片を寄せ集めて書いた南極についての文章は、

あそこで経験したいろんなことの素晴らしさを損なってしまうんじゃないだろうか。

そんな気が僕にはするので、


そういったものを迂回して、南極の素晴らしさそのものについてダイレクトに響く文章を書きたいな・・・


って思ってしまうんです。

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人間の慣れって本当に怖いもので、南極活動3日目のこの日、もうすでにペンギンに関してはお腹いっぱいになるくらい見ていたので、何にも考えずにシャッターを切って取れたのがこの写真です。成鳥になる直前の子ペンギン4羽が仲良く日向ぼっこしている映像です。

で、早速前言撤回してしまうのもなんなんですけど、


南極の素晴らしさは、そこにいった人にしかわからないですし、


それを言葉や、それ以外の方法で表現するっていう仕事は、

到底僕には歯が立ちそうにないって言うことを正直に告白しなければいけない、と言うことになるわけです。


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この日は朝から快晴で、雪と氷の美しい風景取り放題の1日でした。(場所はどこだか忘れました)

「南極は一面が雪と氷で覆われた、真っ白な世界でした」


「世界中のいろんな種類の『白』を集めた場所、それが南極でした」


「水面に映る氷山、南極大陸の美しさは思わず息を飲むものでした」


「氷山の青と、グレーの空のコントラストが素敵でした」


「氷山を真っ赤に染め上げる南極の夕日に心が洗われる心地がしました」


「朝焼けに染まる山々には神々しささえ感じました」


「クジラが、僕の乗っているボートに遊びにきてくれました」


「たくさんのペンギンが、僕の足元を走り去っていきました」


「海に漂う氷の上で優雅に昼寝するアザラシを数え切れないくらい見ました」


とまぁこんな感じで、南極での経験について語れと言われればいくらでも語ることができます。


けれど、それは南極について何かを語っているようで、

実は南極について、ほとんど実際は何をも語ってはいないと思うんです。


むしろ、南極的なるものを傷つけ、損なっているとさえ思います。(すみません)

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繰り返しになりますが、曇天では氷河の「青さ」が本当に映えます。このグレーと青のコントラストは本当に幽玄な雰囲気を醸し出します。しかもその世界が水面に映って、完全な上下反転の世界がボートの下に現れます。辺りを包むのは静寂だけ。このまま時間が止まってほしいとさえ思った瞬間でした。


南極では、すべての人が名カメラマンになれます。


適当にカメラを構え、自分の好きなタイミングで適当にシャッターを押せば、

誰でもあの美しい世界の断片を、とても印象的に切り取ることができます。


なんの難しい理屈も理論も必要ありません。


けれど、そうして切り取られた風景の写真は、何かを説明できているようで、

あの空間に流れている何ものをも説明することはできていないと思うんです。

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ペンギンの写真は本当にたくさん取れたんですが、この写真が一番好きです。彼らは何を考えているのか?いつも不思議に思います。

実際僕は今回のクルーズで、本当に数え切れないくらいの写真を撮りましたし、

その全てがベストショットだと言えるくらい、たくさんの美しい映像を、このチープなカメラに収めることができました。


けれど、


それらのどれ一つをとっても、あの雪と氷の世界の美しさをほとんど表現できてはいない、

今はそんな風に思っています。

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今にも崩落しそうな氷柱です。これもそこいら中で見ることができます。時折静寂を破って雷が落ちたような轟音が鳴り響くときがあるんですが、これがテレビなんかでおなじみの、氷河が溶けて海面に崩れ落ちる時の音だと教えてもらった時にはちょっと鳥肌が立ちました。ただ、音が聞こえて来た時にはもう崩落は終わっていることが多いので、その瞬間を映像に収めることは残念ながら叶いませんでした。

僕が乗船したクルーズ船には、生物学者や地質学者といった専門家も複数乗船していて、

クルーズの合間に、南極に関する専門的な講義を開いてくれます。


彼らは地質学者の視点で、あるいは生物学的見地から、

南極がいかに生物多様性に恵まれた素晴らしい場所であるか、

あるいは、この世界を彩る無数の氷河や氷山がいかに美しいかを語ることができます。


けれど、


例えば「多変数解析関数」の、複素平面における振る舞いがどれほど美しくかつ魅惑的であったとしても、


それがこの世界の美しさそのものを表現することができないように、

(岡潔なら、「できる」というのかもしれませんけれど)


彼らの語る言葉もまた、南極について、少なくともその「美しさ」については、


残念ですけど、ほとんど何も表現できていなかったのではないか、と僕には思われるんです。


もちろん、それが彼らの、学者としての価値をいささかも減じるものではない、というのは当然のことです。

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朝日を受けて染まる南極大陸です。印象的な形の二つのピークが淡いピンク色に染まっていく様子はなんとも言えない美しさでした。継時的な色彩の変化が美しかったので、この写真では何ものをも表現できてはいないわけですけれど、あまりに印象的な風景だったので、ここに静止画としてアップしました。

そもそも、あの世界のありようを包括的かつ適切に表現する言語を、おそらく人類は持たないと思います。


あの世界に流れる時間性や空間性、

空気の質感や風の匂い、

水面が氷河に触れる音、

そのどれか一つでも欠けてしまったその瞬間に、

そこで表現されたものは「南極らしきものに関するなにものか」として、

一気に陳腐なものと化してしまうだろうな、と思っています。


このブログのこの文章や写真がそうであるように。


では他にどんな表現方法がありうるのか?

その問いについては、僕にはちょっと答えが見当たりませし、正直想像もつきません。 


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左を南極大陸に挟まれたこの海峡(名前を忘れました。思い出し次第アップします)の美しさはまさに言語を超越していました。肌を切り裂くような冷たい空気、雲間から差し込む太陽、海に映り込む風景。そこをゆっくり進んでいくオーシャンダイアモンド号。全てが透明で神聖な感じさえします。

僕はこれから、世界を旅する中で、数多くの美しいものを見るだろうと思います。


けれど、あの雪と氷の大地以上に美しものを見ることは、今後多分ないだろうな、と

直感的に確信しています。


あの世界は地球上にありながら、地球上に存在するあらゆる世界の例外として存在する世界です。

うまく言えないんですけれど、

南極と地球上のどこかの絶景を比較して論じることは、

例えば「宇宙から見た地球の青さと、奄美大島の海の青さ、どっちがキレイ?」

みたいな、

度量衡が異なる次元に属する両者を比べてしまうような、とんちんかんなものにならざるを得ないだろうな、と思っています。

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こちらは夕日に染まっていく南極大陸です。南極の夕焼けは、本当に燃えるような色に空を染め上げていきます。世界にはこういう「赤」が存在するのか。というのが、(何の感想にもなっていない)感想でした。南極の自然の前では、すべての言語表現が稚拙になってしまいます。どんな作家的天才も、この美しさを表現するのは相当な困難を伴うはずだ。ずっとそんなことを考えていました。

とまぁ、結局のところ、僕が弄している贅言の数々も、

南極については何も語るところのない退屈なものになってしまうんですけど、


先にも書いたように、


「南極については、自分は何もかけない」


っていう告白以上に、説得力のある南極に関する表現の方法を僕は思いつかないので、


「書けない」ということをダラダラと書き続けたこの自己矛盾の文章と、

いくつかの印象的な(けれど実は南極について、ほとんど何ものをも語ってはいない)南極写真をここにアップすることで、


逆説的ではありますけれど、南極の素晴らしさの一部でもお伝えすることができればなぁと願っています。

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21日の早朝、船は無事ウシュアイアに帰港しました。その接岸の瞬間にも、僕がまだ見ない美しい風景が船窓に広がることになっていたとはいくら何でも想像できませんでした。本文中にも書きましたが「もうこれ以上の風景を見ることは叶わないだろう」「もうこれ以上の野生動物との素敵な遭遇はないだろう」っていう予想が、数時間単位で裏切られていくのが南極でした。でもこれが、正真正銘、最後の最後の息を飲む美しい風景です。

 


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