「私たちは痛みを感じているのではなく、ただ痛いのである。そして痛みに耐えているとき、人は孤独である。どんなに愛し合っている恋人でも、どんなに仲の良い友人でも、私たちが感じている激しい痛みを脳から取り出して手渡しすることはできない。私たちの脳の中にやってきて、それが感じている痛みを一緒になって感じてくれる人は、どこにもいないのである。」
(岸政彦『断片的なものの社会学』朝日新聞社 2016年)

おすぎです。

チリの首都サンティアゴから西に約3700km

太平洋に浮かぶ絶海の孤島、イースター島に来ています。


イースター島といえば、モアイ像。

IMG_6080
海と丘、風に吹かれて揺れる草原と、穏やかに草を食む動物たち。

ダウンタウンとも言い難いような、空港近くのストリート沿いに申し訳程度に軒を連ねる商店街。そして波の音。 青い空と白い雲。
 

この島の西のはずれに位置する美しい海岸沿いのホステルで、 この島の重要な構成要素の一つであるその波の音を聞きながら今、 僕はこの記事を書いています。
 IMG_6089

いや、もう少し厳密に言うと、先日ビーニャデルマールの日本人宿で僕を突然襲った寂し さについてもう少し深く考えてみるために、考えたことを言葉にするために、 この記事を書いています。

旅先で突然襲ってくる得体の知れない寂しさ、不安、孤独感。 それらを端的に表す便利な言葉を、僕たちはひとつ、持っています。


「ホームシック」

事実、あの強烈な寂しさに囚われてしまった時に、真っ先に、ほとんど反射的に僕の頭の
中を駆け巡った衝動が、

「日本に帰りたい」


だからあの時の、そしてこの太平洋のど真ん中で今もなお、僕の心の中に火種のように小 さくくすぶっているこの得体の知れない感情を 「ホームシック」と呼ぶことに、取り立てて問題はないように思われます。

IMG_6044

けれどここイースター島は、僕の故郷について、僕について考えるのに、

 つまりは、「ホームシック」というありきたりな言葉に今の感情を回収してしまうことを いったん留保するのに、もしかしたら絶好の場所なのかも知れません。


エントランスの前の芝生に向けて並べられたカウチソファに横たわって、
ぼんやりと波の音を聞きながら、考えるともなくこの数日間のジェットコースターのような感情の波について考えていると、

ふと、ある一つの「お話」を思い出してしまいました。

IMG_6130

僕がまだ幼少の頃。

待ちに待った日曜日の朝。


少し寝坊して朝目覚めると、隣に一緒に寝ていたはずの両親はもういなくて、 お布団はきちんと片付けられている。

自分一人を置いてどこかに(恐らくは買い物に)出かけてしまった父と母。


自分を置いて、両親が出かけてしまった。

家中どこを探しても、両親はもういない。

そのことが悲しくて、一人ぼっちになった二階の居間の片隅で、大声で泣きじゃくる僕。

そんな僕をあやしにきてくれる祖母。
「お父さんとお母さんがどっかいったくらいで、男の子が泣いてたらあかん」

そう言い残して階下に降りていく祖母を、二階の階段からじっと眺めている僕。

その光景を俯瞰的に眺めている、もう一人の(大人になった)僕。


小さい頃からずっと頭を離れないこのイメージが、大人になってもふとした折に頭の中に 繰り返し繰り返し、かなり具体的な像を結んで僕の意識の中に入り込んできます。

「誰かが自分のもとを去っていく」


そんなストーリーに、自分はどうも過敏に反応してしまうんやな。
(「だから村上春樹が好きなんだな」とも思っています。)

それは幼少期に繰り返されたあの経験が、
今も僕の心の中に深い影を落としているからに違いない。


社会に出て数多くの人間関係の、とりわけ恋愛における失敗をいくつか経験したあと間欠的に襲ってくる
「寂しさ」の「原因」を、 幼少期の体験というベタな「物語」に収斂させることでどうにか自分を保っていた僕は、
今から6年ほど前の秋の日に、その当時はもう自分との完全に関係が冷え切っていた母と、

幼少期の「物語」について直接向き合って、面と向かって話し合いたくて、
数年ぶりに実家を訪問し、父を交えた三人で、気の済むまで語り合ったのでした。

IMG_6085

ここまでのくだりのイメージがどうにもあまりピンと来ない方は
(そしてとりあえず、辛抱してここまで読み進めてくださった方で、この先も読んでみて やろうと思ってくださった方は)

僕が先ほどから「物語」と言う名前で呼んでいるものを 「トラウマ」と読み替えてみてくださって結構です。

その方が、あるいはイメージがしやすいかもしれません。


ただ僕は職業柄、この「トラウマ」というものを扱うことにとても慎重になってしまうが 故に、あえてその言葉を安易に用いることを避けているだけです。

あるいは、持って回った言い方をすることで、そこにある言葉にならない何ものかをなん
とか表現しようとしているのかもしれません。

あの秋の日に、両親との数時間の話し合いを経て僕たち三人が共有した結論めいたものは、

折に触れて僕を襲う、その具体的で強烈な、悲しくてやり場のないその「イメー ジ」ないし「物語」は、

完全なる僕の「捏造」であったということです。


一つだけ確かなことは、 そのイメージがいつから、どのように自分を苦しめるようになるくらい僕を捉えてしまっ ていたのか
自分にはもう、言葉にすることも表現することもできないということです。
IMG_6084

グレゴリー・ベイトソンは、
「コンピューターは、人間の知性を超えられるか?」という問いに応接するのに、

こんなお話を一つ、思いついたそうです。


それは「君は人間の知性を超えられると思うかい?」と問いかけられたコンピューターが、
ある一枚の紙切れをプリントアウトして、その質問者に回答するというお話。

その紙切れに書かれていたのが
It remains me a story.(そういえば、お話を一つ思い出したよ)
 

人工知能で盛り上がっている現代にあって、僕の大好きな説話の一つです。


冒頭の引用文は、社会学者の岸政彦先生の著書の一説ですが、
先生によると、
「生きている」ということは、
いろんな感覚を感じながらある一定の時間を過ごしている、ということだそうです。

暑い、寒い、痛い、美味しい・・・

僕はそこに

嬉しい、楽しい、悲しい、つらい、そして寂しい

といった「感情」をプラスして考えてもいいんじゃないかと思っています。

それは上にあげた感情が、感情以前の「情動」を伴っているから。

換言すると、ある種の「身体感覚」のようなものを伴っていると、僕には思われるからです。
 

嬉しい時、楽しい時はなんだか自然と体が動き出すような感覚に包まれますし、
悲しいとき、悲しさは「涙を流す」という具体的な身体反応をひきおこします。
あるいは仮に涙を流さなかったとしても、悲しみはある種の「痛み」を伴なって、
自分自身の胸に繰り返し突き刺さってくることがある。

「寂しさ」や「孤独」といった感情も。

そして「寂しさ」や「孤独」の残酷なところは

「決して誰ともその感覚を共有することはできないし、自分が感じている寂しさを決して
他人に代わってもらうこともできない」

ように構造化されているということ。


苦しむ人たちを前に僕たちにできることは、
痛みや孤独をただ、自分がこれまで経験した物語の範囲の「痛み」 や「孤独」に置き換えて、
想像的にその人の苦しみを追体験することだけです。

苦しむ人もまた、その苦しみを他者に変わって経験してもらうことはできません。


そして人間は弱いから、

いや、少なくとも僕は、とても弱い人間なので、

「孤独」「痛み」「寂しさ」といった、
それ単体ではなんの意味も持たないはずの感覚や感
情を相互に橋渡しする言葉を、無意識のうちに探してしまうんです。

「この【痛み】の原因は、きっと【寂しい】からだ。【寂しい】のは、住み慣れた日本を遠く離れた、言葉も文化も全く異なる環境にいるからだ。そこで【孤独】を感じている僕
は、日本に帰ったほうがいいはずだ。なぜなら日本には友達がいる。友達がいるということは【孤独】を感じる必然性は少なくなる。そうか、これはあの【ホームシック】という やつだ。うん、そうに違いない...」

ベイトソンが「物語」と読んだ、人間の知性の働きであるところの、言葉によって紡がれたひとまとま
りの思考の束や、

フロイトが「トラウマ」という述語で表現しようとした人の心の働き。


人は苦しみや悲しみといったネガティブな感情から壊れやすい自分自身を守るために、
もっともらしい理由を探してしまいます。

「人は・・」という一般化が不遜ならば、少なくとも僕は、 その痛みの「原因」として他者と共有できそうな「語り」を創造してしまうことを、止めることができません。

けれどそうやって語られた「物語」は、
ほんの一つの小さな嘘を糊塗するために次の嘘を無限につき続けなければならないことと同じように、
また別の新しい「物語」を必然的に求めてしまい
ます。


「原因」と「結果」の物語の無限のループの中で、自分自身と自分の思考が自縄自縛に陥った先にあったのは、ネガティブな感覚の集まりと、その感覚を持て余して立ちすくんでいる自分自身だったんです。

ほんとうの「強さ」というものがあるのなら、

それは痛みや苦しみ、悲しさ、そして寂しさといった感情を、ありきたりの物語に回収してしまうおうとする衝動をグッと抑えて、
それらの感情をただそのものとして感じられるような、
しなやかな心のあり方のことを言うのかもしれません。

けれど一方でそれでも僕たちは、自分の経験を語ることをやめることができません。

それは言語を獲得してしまった人間の宿命でもあると、今の僕には思われます。

であるならば、そうして語られる物語は可能な限り大きな文脈で 語られるべきだし、
僕たちの寿命を超えるような大きな時間性の中で語られる必要があるのかも知れない。
(宗教というものが、あるいはそういうものの一つなのかも知れません)
じゃないとその語りはただの自己処罰か、他責的な言葉に堕してしまう。

それを避けるために必要なのは、強靭な思考でもなく、屈強な精神でもなく、

僕にとっては「仲間」なんだろうと思います。

お話を思いつく能力も、「トラウマ」という厄介な代物も、
どちらも「言葉」が持つ機能の一つにすぎません。(多分)

僕たちは好むと好まざるとにかかわらず、この「言葉」を獲得し、
「言葉」が紡ぎ出す思考の檻の中で悩み、苦しみ続けることを宿命づけられています。

けれどもし、そこからほんの束の間のあいだ解き放たれる自由が僕たちの側にあるのだとしたら、
それは自分という小さな存在を、もっともっと大きな文脈の中で捉えることができるようになること、

すなわち「強さ」「弱さ」の二元論の彼方に僕たちを連れて行ってくれるもの、

つまり「仲間」の存在なのかもしれないしれません。


逆説的ですけれど、「私たちの脳の中にやってきて、それが感じている痛みを一緒に感じてくれる人はどこにもいない」からこそ、

僕たちは「仲間」なしでは生きていけないんだろうと思います。


そのことに気づかせてくれたみんな、ありがとう!

IMG_6102 

おすぎです。

日本人旅行者に有名なチリの日本人宿「汐見荘」に行ってきました。

IMG_5904
塩見荘のキッチンから眺める太平洋の朝焼け。穏やかな海は、僕の心を落ち着かせてくれます。
「僕は思うのだけれど、たくさんの水を日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか。(中略)僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる」(村上春樹『ラオスに一体何があるというんですか?』新潮社 2015年) 。確かに.。 

汐見荘はチリの首都サンティアゴから100km西方にある太平洋岸のリゾート地。


この街の閑静な高級住宅街の、太平洋を望む丘の中腹に汐見荘はあります。


イースター島への飛行機が出るまでの間、結局ここで7泊もしてしまうことに。

IMG_5912

この汐見荘、周辺環境の素晴らしさもさることながら、


ここを日本人バックパッカーが多く訪れるおそらく最大の理由が


「海鮮」

IMG_5951
けんさん作、海鮮丼。ウニ、イカ、マグロ、アジ。うまかったです

汐見荘から2kmほど離れたところに零細漁民の市場があって


そこで新鮮なお魚や貝をびっくりするような安いお値段で購入することができます。

IMG_5935

IMG_5983
犬も大好き、サーモン。市場にて。

素敵な感じのオーナー、山岸さんにお醤油を売ってもらえば、刺身が食える。


外国で刺身が食える。


日本人が、とりわけ長期で南米を旅行する日本人が集まってこないわけがありません。


そんなわけで僕もご多分にもれずこちらにお邪魔して、


海鮮料理を飽きるまで食しました。

IMG_6001


ここで合流したcross x road卒業生のフォトグラファー「けんさん」は、むかし料理人でもあったらしく、

鮮やかな手つきで新鮮な食材を、次々と美味しい海鮮料理に調理してくれます。

IMG_5986

ここではたくさんの若い旅人たちと会うことができました。

特に就職が決まっていて、入社までの間の休みを利用して、南米を回ってるって人が多かった。

ウユニを抜けて来た学生さんの楽園になっていました。

みんなキラキラしてて本当に素晴らしかったなー。


僕の年代のオサーンは、とかく「最近の若い奴は」的なワーディングで若者を語りがちですけれど

(そしてそれは僕が一番したくないと思っていることの一つでもあります)


ここで出会って話をした彼ら彼女らはみんな聡明で、行動力があって、話も上手くて、

僕みたいな40過ぎのオサーンとも分け隔てなく接してくれて、本当に嬉しかったです。


「あぁ、こういう彼らがこれからの社会を引っ張って行ってくれるんだ」

と思うと、

僕のような社会からドロップアウトしたオサーンはとっても勇気付けられると同時に、

「自分も彼らに迷惑をかけないように頑張らないと」と気持ちを新たにすることができます。



「サーモン一人で食べきれないんで、手伝ってもらえます?」


「えー、いいんですか?じゃあ私お醤油持ってるんで持ってきます」


「じゃあお刺身にしましょう。白ワインも余ってるんで、よかったら一緒にどうですか?」


「じゃあ私たち赤ワイン持ってきます」


「あのー、私もワイン持ってるんですけど・・」


「じゃあ一緒に飲みましょうよ」


といった感じで話が広がっていって、話が弾んで、夜が更けていく。


そうやって日々、「行きたいところリスト」が増えていって、

今まで自分一人では決して思い描くことのできなかった旅の工程表がアップデートされていくのは楽しかったです。


「明日が想像できない今日を生きてみたい」

決まり切ったルーティーンに従って生きていた日々に閉塞感を感じて飛び出してきた日本。

旅の当初は、次の日の予定が決まっていないということに漠然とした不安を感じていました。

でも旅を通じていろんな経験を経た今は、

「未来のことは、未来になってみないとわからない」という日常に、

その日いちにちを大切に生きることの素晴らしさを感じずにはいられません。

そんな毎日を今、自分はここで生きている。
 

IMG_5994

美しい街並みの話、素晴らしかった宿の話、そこで出会った人の話、そこで経験した失敗談・・・。

旅人との話は尽きることがありません。


尽きることないコミュニケーションの心地よさってほんと長いこと実感してこなかったなぁ。

(前の職場では、お茶がある場所も教えてもらうことができないくらい、コミュニケーション取れなかったのに 笑)
 

しかし学生諸君が去った後、ここ汐見荘で孤立してしまった僕は、強烈なホームシックに陥ってしまいます。

楽しい時間の後は反動が怖い。


今回のそれはかなり強烈な孤独感を伴うもので、

もう旅を中断してしまいたいっていう激しい衝動にかられながら、

とりあえず次の目的地に向かって汐見荘をチェックアウトした僕。


みんなどうやって旅の仲間見つけてるんやろ。


俺ずっと一人なんかな。

旅も、人生も。


この予想を激しく上回る強烈な孤独感も、あるいは予測不可能な旅の醍醐味なんかな。


でも…


もう日本に帰りたい!


日本に帰って生ビール飲んで友達としゃべりたい!


うどんとたこ焼きとお好み焼きと串カツ食いたい!


猛烈な孤独感を抱えながら、首都サンチアゴに到着です。

おすぎです。

バル・パライソはサンティアゴから西に100kmほど離れた太平洋岸の港町。(→wikipediaページはこちら

今はこの近くの「ビーニャデルマル」という町にある日本人宿、「汐見荘」に滞在しています。 

IMG_5957

僕はよく知らなかったんですが、ここは街全体が世界遺産に指定されているそうです。


カラフルな街並み。街中に溢れるアート。


汐見荘からは電車で10分程度。


汐見荘で知り合ったツヨシくん、

そして色違いの「これ」で
IMG_6003

クロスロード卒業生であることが判明した
「おとうさん」ことユウヤさんと3人で行ってきました。


汐見荘のオーナー、山岸さんから電車に乗るためのPiTaPaのようなICカードをお借りして(お願いすればすぐに貸してくださます)
汐見荘の最寄駅から電車に揺られること約10分。


「ん、どこやろうか?ここかなぁ??」


終点の一つ手前の駅で下車し、駅前の車道を横断し、広場とも公園ともつかないぼんやりとした空間を北に通り抜けたところに
壁面に現代アートが描かれた建築物がひしめき合うように建ち並ぶ、傾斜の多い一角が現れます。
IMG_5917

これがValparaísoか。 


有名なアーティストの落書きが、有名なアーティストの落書きを呼び、いつしかこのような景観をなしていったとか。


ただ、どうもネットで見る美しい街並みとは違うような気も・・・

駅から近いとはいえ、そもそもこんなわかりにくいところにある(こきたない)街並みも、世界遺産の構成要素の一つなのか?

IMG_5925

窓が割れたままのホステル、火事で焼失してそのままにされた住居、ゴミだらけの狭い路地。
地べたに座って昼間から泥酔しているカップル。

そしてマリファナの匂い。


「てゆうかここ、スラム・・・?」


富士山が世界遺産に認定されるかされないかの時に、「ゴミが多い」という理由で認定されなかったことがあったように思うのですが、この街はもうゴミと犬のフンだらけであります。


ほんまにここであってるのか?これが世界遺産なのか?


でも、所々に写真で見たことのあるこういうアートや

IMG_5920

こんなアートが。

IMG_5923

そこそこに満足して帰途にはついたものの、どうも消化不良感は否めません。


「おとうさん」ことユウヤさんも

「帰ったら答え合わせしてみたいですね」


というくらい、感動したり、「すげー」ってなったりしなかった、男3人・3時間ほどの街歩き。

正直な話、
ここまで感動の薄い世界遺産に出会ったのも初めてです。 


宿に帰ってその話をした翌日、
同じくバル・パライソに行ってきたという同宿の若者の男子グループと、
この春大学を卒業するという女性に
「バルパライソどうでした?」と聞いたところ


「めっちゃよかったです!!」

「可愛かったー!!」と。


ん?

そのあまりのテンションの高さ、話す時の盛り上がり方を見ていると、


昨日僕たちが行ったバルパライソは違うところなんじゃないか?と思えてくるほど。


そんな話をしていると、くだんの女子大学生さんから


「私もう一回明日行ってみたいと思うので、一緒に行きましょう」と声をかけていただき、


この日、汐見荘で偶然合流したセブの英会話スクール、cross×roadの卒業生「けんさん」と、新たにチェックインしてきた男女2名の総勢4名で二日後に再度、バルパライソにリベンジに赴きました。


その時の写真がこちら。

IMG_5959

おー、めっちゃ可愛くて綺麗な街並み!!!

IMG_5960

すげー!

IMG_5991

きれ~!

IMG_5922

かわいい!!

IMG_5967

年甲斐もなく、街角でいろんなスナップショット撮ってもらったり。
IMG_5989

IMG_5994

ツヨシくん、ユウヤさん、


俺たち、ちょっとだけ違うとこあるいてたみたいやわ・・・。


あれ、たぶん「ディープ・バルパライソ」やったんやわ・・・。

↑このページのトップヘ