おすぎです。

世界一周に向けて、フィリピンの語学学校「cross x road」で英語の勉強をしています。
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再び、学校の周りをいつもパトロールしているにゃんこに登場してもらいました。今回はカメラ目線バージョンです。

今日は語学学校の卒業式の日。長かったフィリピン生活に終わりを告げて、
いよいよ世界一周に旅立つ日が目の前に迫ってきました。

以前のブログ(こちら)でもご紹介した通り、僕の次の目的地はオーストラリアで、ここを発つのは16日月曜日。
セブ最大のお祭り「シヌログ祭り」に参加した後、オーストラリアのエアーズロック、ゴールドコーストに向かって出発する予定です。

先日風邪をひいて病床に伏せっていた時、いくつかの航空券や主要な観光地で宿泊するバッパーの予約を行なっていました。

いよいよこの学校ともお別れか・・・と思うと、旅立ちの喜びよりも寂しさの方が勝ってしまい、
どうにもやりきれなかったです。

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booking.com とskyscaner 今回の旅で大活躍の二つのサイト。

それにしてもインターネットの利便性には本当にいつも驚かされます。

そして世界は「移動すること」に対して本当に開かれている、つくづく思います。

ヒトやモノや情報が高速で移動する現代の世界は、おそらくそれを可能にしたテクノロジーが目的としていたのとはうらはらに、僕たちを疲弊させ、疎外します。

けれど旅人として見知らぬ土地を訪れる時、僕たちはほんの少しだけ、
すべての経験が新鮮で眩しく輝いていた子供の頃に戻ることができますし、
僕たちを傷つけ、損なってきたいろんなしがらみから少しだけ自由になることができます。

僕たち人類の祖先がグレートジャーニに出た遥か太古の昔から、
移動することと、そこにとどまり続けることの間で葛藤し続けてきた存在を人間というのなら、

二つの選択肢の狭間で常に引き裂かれてあることは、
もしかすると僕たちに宿命づけられた本性の一つなのかもしれません。

そう考えると、常に葛藤の間にあって自問自答し続ける自分や、その葛藤がもたらす成熟も、
かけがえのない経験の一つとして、受け入れられるような気がします。

そしてそんな葛藤がもたらす苦しみが、何かかけがえのないものなのかもしれない、
っていうこと僕たちはきっと共有しているから、
時にそれがたとえ苦しかったり辛いものであったとしても、
どこか遠い見ず知らずの場所に行きたいと願う衝動を、抑えることができないのかもしれません。

世界は移動を拒んではいない」のですから。

メメントモリ・ジャーニー
メレ山 メレ子
亜紀書房
2016-08-26

著者であるメレ山メレ子さんのウェブマガジンを書籍化したもの。数多ある旅関係の本の中で間違いなく最高の一冊だと思っています。
『世界は移動を拒んではいない』は名文で、思わずくらいうるうるしてしまいます。日本脱出直前の11月3日、同じく泣かずにはいられない名文が満載の『断片的なものの社会学』の岸政彦先生との対談を聞きに、京都まで行ってしまう程好きです。

そしてここクロスロードはあくまでぼくの旅の目的地の一つであり、終着点。

あまり感傷的にばかりなってもいられないので、(にしても寂しいなぁ)
まだ見ぬ世界の絶景や、素敵なbuddyとの出会いや邂逅を夢見つつ、

「フィリピン語学留学④ 学習編」に行ってみたいと思います。

 ◆留学前の事前学習
事前学習は留学に際して、できるだけきちんとしておいた方がいい。これは自信を持って断言することができます。
そして、クロスロードを選んで良かったなぁとつくづく思った理由の一つが、
「留学までの2週間ごとのセッション」でした。

スカイプなどのテレビ電話を使って、スタッフさんが事前学習の進捗状況を確認してくださいます。

その時に使ったのがこちらの書籍。 


中学3年生までの英文法を使った英作文をひたすらこなす、っていう趣旨の本です。

これは本当にオススメで、この本を一冊終わらせるのと終わらせないのとでは、留学の成果がかなり違ってくるんじゃないかな?と思っています。

もちろん、最後までできなかった方へのフォローの手段もきちんと用意されていて、
先の「文法クラス」はこの本を使用して授業を行います。

なんで中3までの文法やねん。

そう思われる方もいるとは思いますが、「日常会話の90%以上は中3までの英文法でどうにかなる」っていうのは自分の実感でもあり、本書の意図するところでもあるのだろうと思っています。
かなり高度で抽象的なトピックも、中3までの英文法で十分に扱えます。

あとは文法ではなく語彙力の問題になって来ます。

繰り返しになりますが、抽象的なトピックを論じるときでさえ、英語話者が使っているグラマーは90%以上が日本の中学3年生までの英文法。(中学英文法がカバーできてないのは「仮定法」くらいじゃないでしょうか?)

これって結構福音だと思いませんか?

僕はこのテキストを、留学までに一冊暗記してしまうくらいまでやり込みました。
付属のCDで発音のチェックもしました。

おかげで、初日から本当にスムーズに授業に入っていくことができました。

これは、定期的なスカイプセッション(僕はライン使ってたけど)のおかげで、
あれがないとすぐ怠けていたと思います。

もちろん、留学予定のない方も、会話力という点を重視するなら、この本を用いた学習はとても効果的だと思います。

なるほど、よく売れているのも頷けます。


◆SEP(Speak English Policy)のこと
フィリピンの語学学校の中には、Speak English Policy、つまり英語以外の言語を学校内で使ってはいけない、という規則を設けている学校が結構あるようです。

僕がいるCross x Road は日本語オッケーの学校で、
個人的には、母国語で深い話をできる仲間が周りにいないっていうのは、結構ストレスフルな環境だと思います。

ビジネスで普段から英語を使用している方が、英語力のブラッシュアップを求めて留学されているっていうケースや、
とにかくもう日本が嫌で、日本語を聞くのも見るのも嫌、という方なら、そういうストイックな環境に身を置くのもありかもしれません。

でも、「日本語話せない」って、結構ストレス溜まるんです。

それに僕たちは望むと望まざるとにかかわらず、とても深く「母国語」という蜘蛛の巣に絡め取られています。

そして、

そこまで一生懸命自分の国の言語を遠ざけなければならない環境って、
それがどれだけ価値があったりお金が儲かったりするものだったとしても、
なんだか寂しくないですか?


人は必要に迫られればどんな状況でだってコミュニケーションをとりますし、
必要とあればどんな状況であれ自ら主体的に英語を話さざるを得ない環境を選択し、英語を話す機会を増やしていくと思います。

他人に強制されなくとも。

僕はこちらに来て2ヶ月以上経ちますが、英語が話せるようになればなるほど、
日本語話者としての自分を誇れるようになって来ました。

それは本当に素晴らしいことだと思っているので、

日本語を恣意的に遠ざけることで得られる利益や環境というのは
なんだか少し不自然で、歪んだものであらざるを得ないんじゃないかと邪推してしまいます。


名著です。あまり多くを語る必要なし。とりあえず読んでほしいです。

ある言語の使用を意図的に禁止したり推奨したりするのは、
実は植民地支配などの暴力的な歴史と密接に関係している、
っていうのが(たぶん)世界史が教えてくれている事実で、
それだけ言語運用の抑圧や恣意的な操作は、意識的にも無意識的にも、ある種の暴力性を帯びてしまうっていう事実に、グローバリゼーション祭り状態の日本人のみなさんはもう少しだけ敏感になってもいいんじゃない?と、個人的には思っています。

→英語と植民地支配の暴力的な関係性を鋭く指摘している、内田樹先生のブログはこちら

→合わせて「母語を大切にすることの意味」についての内田樹先生のブログは
こちら。
(少し悲観的な例としてフィリピンの国語施策が挙がっていますが、フィリピンに限らないことです)

私見ですけど、英語を学ぶことの本当の意味って、

母国語以外の言語が私たちに与えてくれるものの見方、考え方を理解し、

私が容易に理解することのできない言語を操る他者とさえ、私はコミュニケーションをとることができるっていう、人間を他の霊長類と分かつところの能力を賦活することを通じて、

私たち自身の生きる世界を、色鮮やかで奥行きの深い世界へと再構築するための、もっとも手近で有意義な営みなんではないかと思っています。

そういうのを踏まえたSEPなら、どんどん推奨すべきだと思うんですけど、
徴するに、どうもそうではないような感じがしてます。(個人の感想です)

僕はもうすぐここを卒業して、世界を周る旅に出ますけど、
願わくは一人でもたくさんの人がここにきて、英語を話す「楽しさ」だけでなく、
日本語の持つ美しい響きや情緒、そして日本という国の有する多種多様な側面に気づく
きっかけの一つを持って帰ってくださればなぁと思います。

自分自身のことが、純粋な自己との対話だけで完全に理解できないのと同じように、

僕たちが暮らし、僕たちを強く規定している日本という国と日本語という言語もまた、

その真髄に触れるためにはどうしても、それとは全く相容れない別の言語環境、別の価値体系の中に身を置く必要がある。

そういうのは必要ないっていう方も当然たくさんいらっしゃるんでしょうけれど、

「今私が生きている世界はこんなに素晴らしい」

という気づきが、多彩な言語運用能力によってもたらされるっていうことは
夏目漱石、森鴎外、永井荷風のように、多くの優れた文学作品を残した小説家が、極めて高度なバイリンガル・トライリンガルだったことからも容易に想像がつきますし、
(特に漢詩の素養は、僕にとってはとても羨ましい)

断腸亭日乗とか、ほんまたまらんです。こういうの読んでると、あぁ日本人で本当に良かったなぁと思います。あと村上春樹ね。

自分たちが生きている世界がほんの少しだけ色鮮やかで奥行きのあるものだと気づくことから得られる価値は、僕たちに無限の喜びを与えてくれる、っていうことを、今の自分は信じて疑いません。