2017年02月

おすぎです。

南極クルーズを終えて夢見心地のまま、次の目的地へ向かう前に宿泊したのは、
今回の旅で一番印象に残るホステルでした。

詰まって水が流れないトイレ。
と思ったら次の日は逆に水が流れすぎて、びしょびしょになっているトイレ。

う○この匂いのするシャワー。(←これは未だに意味不明。ただ、これのクレームってどうやっていうねん?って思います。「あのー、シャワーからう○この匂いするんですけど」っていうのか。下手したらどっかの病院連れて行かれますよ。)

すきま風がびゅうびゅう入ってくる客室。

にもかかわらず、薄い掛け布団一枚で、毛布も貸してもらえない軋むベッド。

腐った牛乳と一緒に供される、
コンチネンタルブレックファストという名のコーンフレークとカピカピのパン。(そしてホットコーヒー)

特に夜間の寒さにもかかわらず、毛布がないことには辟易しました。

そしてついに


風邪をひきました。


日本にいる時でさえ、

風邪をひいて部屋で一人、寂しく過ごしているのはとっても心細いものです。

ましてやここは、地球の裏側、南米アルゼンチン。

その寂しさたるや、相当なものです。

でも、今回書きたいのはそのことではなくて、

このバッパーに宿泊していた、日本人中年男性のことなんです。

僕も41歳なので、
カテゴリー的には中年男性に入ることはよくわかっていますし、

世間では「おっさん」の蔑称で呼ばれる、しがない存在であることもよく理解しています。

でも今回、僕と同室に宿泊したこの日本人中年男性をあえて

「おっさん」の三人称で呼称する、そのことをどうぞお許しください。


この「おっさん」

夜の9時ぐらいに僕の滞在している客室に転がり込んできました。


僕はこのときすでに風邪の兆候が出始めていたので、

今後の移動のことも考え、大事をとって早めに休んでいたんです。

同じ部屋の、別の外国人の男性宿泊客も少し体調が悪かったようで、同じように早めに横になっていました。

そこに転がり込んできた「おっさん」

年齢は50歳くらい。やせ気味の、いかにも神経質そうな中間管理職風情のオヤジ。

身長は165センチくらい、頭髪は短くて白髪混じり。眼鏡をかけています。

勢いよく開けたドアを勢いよく閉め、
同室の旅行客の"hola"の挨拶を無視し、 
大きめのリュックを肩から降ろしておっさんがまず始めたのは、
部屋にある貴重品ロッカーの物色。

どういうわけか、全てのロッカーの扉を順番に開け閉めしていく、という行為を10分程度ひたすら続けています。

しかもどういうわけか、ロッカーの扉を閉める音が尋常じゃないくらい大きい。

何かに苛立っているかのように「バタン!バタン!」と開けては閉める、
この行動をしばらく続けた後、
どうやら上段左端のロッカーが気になったようで、
そのロッカーをしきりと開けようとするのですが


「そこ、俺が使ってるロッカーなんで」


鍵が閉まっていることがわからない(南京錠をかけているのがわからない)ようで、

でもどうしてもそのロッカーを開けたいらしく、
 
最後は扉をひっぺがそうとし始めます。


これはあかん!
そこ俺が使ってるから!



注意しようとしたその瞬間に、

おっさんもどうやら人が使っているっていうことがわかった様子。

結局別のロッカーを使うことに決めたようですが、

6人部屋で、6つしかないロッカーの3つを占有するという厚かましさ。

いますよね、こういうおっさん。

「他の旅行者が来たらどうするのか」という想像力が見事に欠如した

「俺が良けりゃあなんでもええんじゃ」という傍若無人ぶり。

まぁもちろん、外国人観光客からクレームが来た瞬間にヘラヘラ言い訳しながら服従するであろうことは容易に想像できます。

そういう感じの、意地悪そうな顔をした日本人中年男性、

それが「おっさん」です。


さてその「おっさん」がどうして日本人であるかがわかるのか。

ちなみに僕は最後まで、そのおっさんとは話をしませんでしたが、

ロッカーの件の後、彼が始めたのが

「自分の旅行予定が書いた紙を、ブツブツと朗読し始める」という行為だったから。

あーこいつ、日本人ちゃうかったらええのになぁ・・・

という僕の淡い期待を一瞬にして粉々に打ち砕く、

お経のような日本語の旅行予定表の朗読。

「○月○日どこどこ。○○ホテル・・・。空港。ブツブツブツブツ・・・」

暗記しようとしているのか?
かれこれ30分ほど続きます。

しかもなぜか、自分が荷物を降ろして占有したベッドとは別のベッドの上に件の予定表(?)を一面に広げ、

その広げた紙をご自分のスマホのライトを使って照らし出して(部屋はもう明かりが消えていたので)読み始める始末。

ありがとうおっさん。
一応部屋の電気消えてるからってことで、気使ってくれてるねんな。


でもおっさんのスマホのライト、結構明るいで。


もういっそ、電気つけて読んだら??

っていうくらいの明るさ。

その読経は、そのベッドを使っていた別の旅行客が戻って来たことを機に中断。
(なんで他人のベッド使ってるねん…)

何事かを、その旅行客からスペイン語でまくしたてられた、おっさん。

最後に

「ゔッ」

という意味不明の音声を力なく吐き出して、そそくさとベッド一面に広げた紙をしまい始めます。

ここまででもうすでに気持ち悪い感じを存分に発揮している、おっさん。


「ハァ!」


「フゥ!」


といった大きめのため息をおもむろに20回程度吐いた後、

夕食でも食べに出たのか、部屋を後にしました。 


あかん、めっちゃイライラする。


俺が初めて海外のバッパーで出会った日本人。

それが「おっさん」。

終わってるな。


俺も他の旅人みたいに、
現地で出会った日本人との心温まる出会いとか交流とか、
そういうのを素敵な写真とともにブログに投稿したり、
フェイスブックにアップしたい。 

それが・・・

いくら俺も同じ「おっさん」のカテゴリーに属する存在であるとはいえ、よりによってこんな・・・。

(こんなことなら、南極クルーズ船で出会った皆さんといっぱい写真撮っておけばよかったな)

そう思いながら浅い眠りについたのもつかの間。


バーン!!



再びおっさんが部屋に「転がり込んで」来ます。


どうしてこのおっさんは「静かに」扉の開け閉めがでけへんのか。



静かに扉を開け閉めする、ということに、これまでの人生で思いが至ったことがないのか。

時計を見ると夜中の12時半。
他の旅行者が寝静まっている時間に勢いよくドアを開けて、
ドカンドカンと音を立てながら部屋に入り、

渾身の力を込めて閉めるドアに、あなたはどんな思いを込めているのか?

何か嫌なことがあったのかもしれない。

虫の居所が悪かったのかもしれない。


でも、

それが他人にとってどれほど迷惑な行為であるかということを、
あなたの想像力は思い描くことはできないのか? 

同じ日本人として恥ずかしいよ、おっさん。



さて、部屋への帰還を果たしたおっさん。

おもむろに服を着替え始めます。

コンビニの袋っぽいビニール袋に、
神経質に分類されて詰め込まれているんであろう衣服の数々を暗闇の中でおもむろに取り出し始める、おっさん。

はい、ここで気付かれる方は気がついていると思うのですが、

夜中・明け方にこういう共同の寝室でビニール袋の音をガサガサと立てられるのは大変耳障りです。

僕も以前北アルプスの山小屋でこれをやってしまい、隣に寝ていたおっちゃんに「マナー違反だ」といって怒られたことがあって、

それ以降は最も気をつけていることの一つですなんですけど、

その「ビニール袋をガサガサする」テロを、
今、地球の裏側で思いっきり自分が受けている。

しかもお目当のお洋服がなかなか見つからないのか、

もう10分以上ずっとガサガサガサガサし続けています。

他の外国人旅行者のせきばらいもなんのその。

「あれー。おかしいなぁ。」

ビニール袋の音に被せるように発せられる、おっさんの独り言。


おっさん、俺、体調悪いし、明日早いし、はよ寝たいねん。


もうそろそろ、注意してもええかなぁ。


でもな、ここで俺が日本人てわかって、日本語通じるってことがわかった瞬間に、思いっきりフレンドリーに、いろいろ絡まれるのも嫌やし、

おっさんと仲良くしてるとこ、他の客に見られるのも嫌やし。

よし、ここは寝たふりを決め込もう。

そう思った矢先、

先刻の

「光量の大きいスマホ攻撃」

が始まりました。



ありがとう、おっさん。

確かに夜ももう遅い。

みんなが寝静まってるこの時間に、部屋の電気をつけるのはさすがに非常識やよな。


でもおっさんのスマホのライト、結構明るいで(2回目)

少し高いところに置かれて、
室内を煌々と照らす、おっさんのスマホのライト。
あかん、こいつかなりのつわものや。
ちょっとやそっとではビクともせぇへんぞ。

そう思った僕は、このおっさんとは関わらないことを決意し、明日の朝の早い出発に備えて少しでも睡眠をとることにします。

おっさんも無事着替えが終わり、ようやくベッドに入ってくれた模様。

ウシュアイアの夜に、再び静寂と平穏が訪れます。



と思ったのもつかの間



ゔ、ゔん。

あ"、あ"ーんっ。


ゔー。



何とも表現しようのない、うなり声のような、言語以前の奇声ともいうべき音声が、おっさんから発せられる。

おっさん、どうやら眠れないようで、何かしきりに独り言を言っています。

その合間に発せられるのが、上記のうめき声(のような奇声)

あぁ、僕が日本語話者じゃなかったら。

そうしたら、おっさんの独語を、寝言とか何かと割り切って、スルーして自分の眠りに再び戻っていくこともできたのに。

クリアに聞こえる「あー眠れない。あー疲れた。」
「あ、そうだ、あれどうなってたかな。(ゴソゴソ)」 という独語。

そして奇声。


あかん、気になって寝られへんやんけ。

その独り言がしばらく続いた後、

おっさん、おもむろにベッドから起きだして、

ラジオ体操に似た、謎の体操を始めます。

ちょっと身体動かしたら眠れる、と思ったのかどうかは知りませんけど、
同じ部屋に、他の客が眠っているということを全く無視したかのような振る舞い。

まさに唯我独尊。

軋む床。跳ねるおっさん。


ここでさすがに堪忍袋の緒が切れたのか

一人の外国人宿泊客が大声で

"HEY!! WHAT ARE YOU DOIN' !?"

と叫びます。

(お、ええぞ!)



これに先ほどの

「ゔッ」

という意味不明の音声で答えるおっさん。

"What are you doing, ha?"

再び問い詰める、外国人宿泊客。

おっさん:「ゔッ」


それでこのやり取りは終了しました。

この謎の音声は、中型の大きさの動物が吠えるような、唸るような感じの声で、何というか、ちょっとした凄みがあります。

外国で外人に絡まれたら、この声を発するといいかもしれません。


諦める、外国人宿泊客。

ただ、その外国人宿泊客の目的は成功に終わり、
おっさんはラジオ体操のような謎の体操を諦め、ベッドに戻っていきます。 

この時点で、僕はもう完全に目が覚めています。

あかん、気になって寝られへんやんけ。

どうしてくれんねん。

それでも時刻は夜中の3時。

さすがに眠くてうつらうつらし始めたその時。


ダーーーっつ!!

うっ、うオーーーッツ!!

グぅアーーーーーっ!! 



という叫び声が、断続的に聞こえ始めます。


なんやなんやなんやなんや???


声の主は誰あろう、おっさんであります。

おっさん、どうしても眠れないようで、「眠れない」と仕切りに独り言を言いながら大声で断続的に唸ります。

このおっさんは、どうも眠れないと奇声を発する習慣のある人のようです。


うん、君だけじゃなくて、

多分この同室の他のお友達もみんな(多分)寝れてないよ。

よかったね。

君は一人じゃない。

少なくとも、俺はもうねむれない。


いやーこれはさすがに怖かった。

家族はどう思ってるんやろう。

いや、こんなところまで一人で旅するような人やから。俺と同じ独身なんかもな。

どっちにしても、これはさすがにちょっと誰も注意できないだろうと思います。

怖いもん。純粋に。


そしてこのおっさんのこの奇声、 

明け方に近づくにつれ、何というか、語尾に(そもそも「語」、なのかはさておき)妙な色っぽさをまとい始めます。




ダーーーっん♡

うっ、うオーーーッツん♡

グぅアーーーーーっん♡




えもいわれぬ湿っぽさをまとい、
鼻から抜けるように発せられる奇声。


これはそう、喘ぎ声に近い。



なんでやねん。。。



何やってんやろう、おっさん。



めっちゃきになるやんけ。



見たい。。。



でも、不用意に見てしまって、

万が一目が合ったら襲われるかもしれへん。。。



「目を合わせちゃダメ!!」

道ゆく不思議なおじさんを眺める子供が例外なくお母さんに叱られるときのこのフレーズと、

41歳の僕の好奇心が激しくせめぎ合います。


地球の裏側、ウシュアイアで
明け方に聞く、日本人中年男性の喘ぎ声。 

こんなにシュールな状況を、旅の前に想像できたか。



できるわけないやろう。



こうしてウシュアイア最後の夜は明けていったのでした。



翌日、寝不足の目をこすりながら、

次の目的地、エル・カラファテまでの18時間にも及ぶバスの長旅に挑んだ僕。

前日の睡眠不足が見事に祟り、

目的地に到着した時点で発熱を伴って、完全に風邪を拗らせてしまいました。


そんなわけで、

パタゴニアのため息の出るような銀嶺を望む、

アルヘンティノ湖の湖畔に佇む美しい街、エルカラファテにたどり着いたその日から

ろくに外に出ることも能わず、

ひたすらホステルで寝まくる、という日々を送っています。 
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こっちに来て唯一撮った写真。遠くにパタゴニアの山々が見えます。

僕は41歳。

そう、「中年」「おっさん」という類型がこの世に存在する限り、
誰がなんと言おうと、
どれだけ頑張ってみたところで、
ウシュアイアの「喘ぐ日本人」と同じカテゴリーに属する人間なんですよね。

そんな俺が、旅先で出会った旅行者との心温まる交流とか、
普通に考えたら確率的には低いよなぁ。

うん、よくわかります。

俺があのおっさんに話しかけなかったように、
人は多分、一人で旅する中年のおっさんとは話をしたくない。

だから俺、旅してもう2ヶ月にもなるのに、
未だに友達できてへんし、
誰とも出会ってへんのやな。
(南極除く)

僕は孤独を抱えて、
孤独をちょっとしたテーマにしながら旅をしてるけれど、

これって自分が主体的に選んでそうしてるんじゃなくて、

ただ単に、人が周りに寄ってこないだけなんかもわからないな、って。

なんか、地球の裏側で喘ぐおっさんを観る目を通じて、自分自身を客観的にみたような気がしています。(もちろん僕は何があっても公衆の面前で喘いだりはしませんけどね)

前の職場で、普段から比較的孤立しがちだった僕は、結局最後は誰からも相手にしてもらえなくなり、心を病んでいきました。

そして職場を去りました。

おっさんももしかしたらそんな風に少しずつ、周りから人が少なくなっていって、
気づいたら、俺みたいに一人になってしまってたのかもしれない。
それで傷ついて、俺と同じようにこうやって、南米の、言葉も文化も全然違うところを一人で旅するようになったのかもしれない。
だとしたら、少なくとも俺と「おっさん」を分かつ境界線はない。

俺と一緒や。

いや、もしかしたらおっさんには妻子があって、幸せな家庭があって、友達もめっちゃいてるのかもしれません。

でもそれやったらそれで、
やっぱり凹むなぁ…。

どこに向かって、何のために旅しているのかな、おっさん。

やっぱり、ちょっと話すれば良かったな。
そうしたら、今の自分のことも、もう少し客観的に観ることができたのかもわからないな。



いやいや、でもやっぱり怖いわ…



(終)

おすぎです。


11日間のクルーズを終え、南極から今日、ウシュアイアに戻ってきました。

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2017年2月16日、念願の南極大陸への上陸を果たしました。上陸の瞬間は雨でしたが、時間が経つにつれて雲が切れて晴れ間が顔を覗かせます。本当に感動的な瞬間でした。

しばらく更新が途絶えてしまったのは、南極にいたからです。


いや、幾らかお金を払えば、クルーズ船のインターネットに接続できたんですけれど、


貧乏旅行者である僕は、そういうところではお金を使うのを我慢して、

ウシュアイアに戻った今、船が到着した港近くのカフェでこのブログを書いているというわけです。


ただ、正直に言って、今回のブログは書くのが難しいなぁと思っています。


それは僕が南極で見たもの、経験したことが、

僕の手持ちの表現力や語彙力では到底現しきれない、本当に素晴らしいものだったからです。

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空の青と、海の青と、雲の白と、氷河の白。それだけのシンプルな世界が、こんなにも色鮮やかであることが信じられませんでした。360度、見渡す限りこの光景がどこまでも広がっている、それが南極というところです。「青」「白」という言葉が実は何も説明できていない、言葉がいかに弱くて儚いものかを痛感せずにはいられない世界、それが南極だということもできるかもしれません。

南極を旅するということや、南極という世界の美しさ、素晴らしさについて何かを語るには

「南極について、僕は決して正確には書けない」

「南極の美しさを、写真に収めることはできない」っていう告白のような、

このとっちらかった感じの文章が、一番誠実でかつ合目的的だろうと、少なくとも今の自分には思われます。

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この写真は少しわかりにくいんですが、「グレーとブルーのコントラストの美しさ」っていうのが南極の特徴の一つかと思います。実はこの氷河、青く光る物質は何も含んではいないそうです。


「南極でも米ドル使えるよ」とか、

「環境省に提出する書類、忘れずに!」みたいなトリヴァルな情報


「南極に連れてってくれたみんなに感謝!!」

「ありがとう!南極最高!!」


みたいな、旅人さんのエクリチュールで書かれる楽しい旅人ブログ調のテクスト


心優しい日本人旅行者の皆さんや、陽気なメキシコ人のルームメイト、

いつもはにかみながら話しかけてくれるアイルランド人のブロンドの女性、

7ヶ国語を操るという、僕と同い年くらいのマレーシア人の男性や、

何かにつけて、声をかけてくれたいろんな国のいろんな仲間たちとの出会いと交流について書くことで、


あるいは、

「もうこれ以上の経験はないやろう」っていう僕の予想を良い意味で、毎日毎日裏切ってくれる、ペンギン、アザラシ、そしてクジラといった野生動物との出会い

について、ドラマティックに書くのも良いかもしれません。


事実最終日、僕が乗る小型ボートにクジラが遊びに来てくれて、
手を伸ばせば届く距離でクジラを見ることができたときは、本当に感動しました。
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少しわかりにくいですが、写真の一番右端で控えめにiphone片手にクジラに見入っているのが僕です。この日クジラと戯れることのできた幸運のゾディアックは三隻。そのうちの一隻に乗っていたのが僕でした。写真は別のゾディアックに乗っていた女性が撮影したもので、クジラを収めたベストショットの一つとして、船内でエアドロップ経由で拡散されまくっていた映像です。

はたまた、

フルコースで供される毎日のディナーや決して乗客を退屈させることのない、船内活動やアクティビティーの数々といったクルーズ船における日常生活のあれこれについて記すことも、

南極に興味がある人や、具体的に南極への旅行を検討している人にとって有益な情報になりうるでしょう。


そして実際にそういったことをありのまま、面白おかしくブログに書き記すことで、

あの素晴らしい体験を一人でも多くの人と共有できたらな・・・っていう気持ちはもちろん僕にもあります。


でもそういう、南極体験のいわば断片を寄せ集めて書いた南極についての文章は、

あそこで経験したいろんなことの素晴らしさを損なってしまうんじゃないだろうか。

そんな気が僕にはするので、


そういったものを迂回して、南極の素晴らしさそのものについてダイレクトに響く文章を書きたいな・・・


って思ってしまうんです。

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人間の慣れって本当に怖いもので、南極活動3日目のこの日、もうすでにペンギンに関してはお腹いっぱいになるくらい見ていたので、何にも考えずにシャッターを切って取れたのがこの写真です。成鳥になる直前の子ペンギン4羽が仲良く日向ぼっこしている映像です。

で、早速前言撤回してしまうのもなんなんですけど、


南極の素晴らしさは、そこにいった人にしかわからないですし、


それを言葉や、それ以外の方法で表現するっていう仕事は、

到底僕には歯が立ちそうにないって言うことを正直に告白しなければいけない、と言うことになるわけです。


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この日は朝から快晴で、雪と氷の美しい風景取り放題の1日でした。(場所はどこだか忘れました)

「南極は一面が雪と氷で覆われた、真っ白な世界でした」


「世界中のいろんな種類の『白』を集めた場所、それが南極でした」


「水面に映る氷山、南極大陸の美しさは思わず息を飲むものでした」


「氷山の青と、グレーの空のコントラストが素敵でした」


「氷山を真っ赤に染め上げる南極の夕日に心が洗われる心地がしました」


「朝焼けに染まる山々には神々しささえ感じました」


「クジラが、僕の乗っているボートに遊びにきてくれました」


「たくさんのペンギンが、僕の足元を走り去っていきました」


「海に漂う氷の上で優雅に昼寝するアザラシを数え切れないくらい見ました」


とまぁこんな感じで、南極での経験について語れと言われればいくらでも語ることができます。


けれど、それは南極について何かを語っているようで、

実は南極について、ほとんど実際は何をも語ってはいないと思うんです。


むしろ、南極的なるものを傷つけ、損なっているとさえ思います。(すみません)

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繰り返しになりますが、曇天では氷河の「青さ」が本当に映えます。このグレーと青のコントラストは本当に幽玄な雰囲気を醸し出します。しかもその世界が水面に映って、完全な上下反転の世界がボートの下に現れます。辺りを包むのは静寂だけ。このまま時間が止まってほしいとさえ思った瞬間でした。


南極では、すべての人が名カメラマンになれます。


適当にカメラを構え、自分の好きなタイミングで適当にシャッターを押せば、

誰でもあの美しい世界の断片を、とても印象的に切り取ることができます。


なんの難しい理屈も理論も必要ありません。


けれど、そうして切り取られた風景の写真は、何かを説明できているようで、

あの空間に流れている何ものをも説明することはできていないと思うんです。

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ペンギンの写真は本当にたくさん取れたんですが、この写真が一番好きです。彼らは何を考えているのか?いつも不思議に思います。

実際僕は今回のクルーズで、本当に数え切れないくらいの写真を撮りましたし、

その全てがベストショットだと言えるくらい、たくさんの美しい映像を、このチープなカメラに収めることができました。


けれど、


それらのどれ一つをとっても、あの雪と氷の世界の美しさをほとんど表現できてはいない、

今はそんな風に思っています。

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今にも崩落しそうな氷柱です。これもそこいら中で見ることができます。時折静寂を破って雷が落ちたような轟音が鳴り響くときがあるんですが、これがテレビなんかでおなじみの、氷河が溶けて海面に崩れ落ちる時の音だと教えてもらった時にはちょっと鳥肌が立ちました。ただ、音が聞こえて来た時にはもう崩落は終わっていることが多いので、その瞬間を映像に収めることは残念ながら叶いませんでした。

僕が乗船したクルーズ船には、生物学者や地質学者といった専門家も複数乗船していて、

クルーズの合間に、南極に関する専門的な講義を開いてくれます。


彼らは地質学者の視点で、あるいは生物学的見地から、

南極がいかに生物多様性に恵まれた素晴らしい場所であるか、

あるいは、この世界を彩る無数の氷河や氷山がいかに美しいかを語ることができます。


けれど、


例えば「多変数解析関数」の、複素平面における振る舞いがどれほど美しくかつ魅惑的であったとしても、


それがこの世界の美しさそのものを表現することができないように、

(岡潔なら、「できる」というのかもしれませんけれど)


彼らの語る言葉もまた、南極について、少なくともその「美しさ」については、


残念ですけど、ほとんど何も表現できていなかったのではないか、と僕には思われるんです。


もちろん、それが彼らの、学者としての価値をいささかも減じるものではない、というのは当然のことです。

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朝日を受けて染まる南極大陸です。印象的な形の二つのピークが淡いピンク色に染まっていく様子はなんとも言えない美しさでした。継時的な色彩の変化が美しかったので、この写真では何ものをも表現できてはいないわけですけれど、あまりに印象的な風景だったので、ここに静止画としてアップしました。

そもそも、あの世界のありようを包括的かつ適切に表現する言語を、おそらく人類は持たないと思います。


あの世界に流れる時間性や空間性、

空気の質感や風の匂い、

水面が氷河に触れる音、

そのどれか一つでも欠けてしまったその瞬間に、

そこで表現されたものは「南極らしきものに関するなにものか」として、

一気に陳腐なものと化してしまうだろうな、と思っています。


このブログのこの文章や写真がそうであるように。


では他にどんな表現方法がありうるのか?

その問いについては、僕にはちょっと答えが見当たりませし、正直想像もつきません。 


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左を南極大陸に挟まれたこの海峡(名前を忘れました。思い出し次第アップします)の美しさはまさに言語を超越していました。肌を切り裂くような冷たい空気、雲間から差し込む太陽、海に映り込む風景。そこをゆっくり進んでいくオーシャンダイアモンド号。全てが透明で神聖な感じさえします。

僕はこれから、世界を旅する中で、数多くの美しいものを見るだろうと思います。


けれど、あの雪と氷の大地以上に美しものを見ることは、今後多分ないだろうな、と

直感的に確信しています。


あの世界は地球上にありながら、地球上に存在するあらゆる世界の例外として存在する世界です。

うまく言えないんですけれど、

南極と地球上のどこかの絶景を比較して論じることは、

例えば「宇宙から見た地球の青さと、奄美大島の海の青さ、どっちがキレイ?」

みたいな、

度量衡が異なる次元に属する両者を比べてしまうような、とんちんかんなものにならざるを得ないだろうな、と思っています。

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こちらは夕日に染まっていく南極大陸です。南極の夕焼けは、本当に燃えるような色に空を染め上げていきます。世界にはこういう「赤」が存在するのか。というのが、(何の感想にもなっていない)感想でした。南極の自然の前では、すべての言語表現が稚拙になってしまいます。どんな作家的天才も、この美しさを表現するのは相当な困難を伴うはずだ。ずっとそんなことを考えていました。

とまぁ、結局のところ、僕が弄している贅言の数々も、

南極については何も語るところのない退屈なものになってしまうんですけど、


先にも書いたように、


「南極については、自分は何もかけない」


っていう告白以上に、説得力のある南極に関する表現の方法を僕は思いつかないので、


「書けない」ということをダラダラと書き続けたこの自己矛盾の文章と、

いくつかの印象的な(けれど実は南極について、ほとんど何ものをも語ってはいない)南極写真をここにアップすることで、


逆説的ではありますけれど、南極の素晴らしさの一部でもお伝えすることができればなぁと願っています。

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21日の早朝、船は無事ウシュアイアに帰港しました。その接岸の瞬間にも、僕がまだ見ない美しい風景が船窓に広がることになっていたとはいくら何でも想像できませんでした。本文中にも書きましたが「もうこれ以上の風景を見ることは叶わないだろう」「もうこれ以上の野生動物との素敵な遭遇はないだろう」っていう予想が、数時間単位で裏切られていくのが南極でした。でもこれが、正真正銘、最後の最後の息を飲む美しい風景です。

 


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