おすぎです。
先日、セブ島南部に漂流民族「バジャウ族」を訪ねてきました。

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バジャウのコミュニティに隣接する地域には、高度経済成長前の日本を彷彿とさせる風景が広がっていました。

大規模な開発で汚染された港湾部の汚泥の上に、今にも崩れ落ちそうな無数の木造住宅が密集して立ち並ぶ光景。

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かつては高床式の家の下には青い海が広がっていて、そこで魚介類をとって生計を立てていたと言います。

衛生状態は劣悪で、悪臭が常に漂っています。
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ひしめき合うように建てられた家々。奥にみえる建造物とショッピングモールが、不条理感をさらに演出します。

バジャウ族のなんたるかについては、今回の見学をコーディネートしてくださった松田大夢さんのブログに詳しいので、ここにリンクを貼っておきます。

【驚愕】松田大夢がセブ島で一緒に生活してる『リアル半魚人バジャウ族』って何?」リンクは→
こちら

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21歳にしてフィリピンに持ち家がある松田さん。バジャウのコミュニティに溶け込み、共に生きています。21世紀のセツルメントを見た気がする。すげー。

僕なりにまとめると、バジャウ族とは
東南アジア島嶼部を生活拠点とする海洋民族。
主に漁撈採集を生業としていた。
陸に上がることは少なく、洋上で生活する。
経済状況は芳しくなく、生活環境は劣悪。
良質の医療を受ける機会も少なく、乳幼児の死亡率も高め。
その他教育、就労など、社会生活の多くの場面で差別を受けている。 

上記の松田さんのブログ記事(こちら)にもある通り、日本政府のODAによる沿岸地区の開発とそれに伴う環境汚染が原因で、バジャウ族はその生業を奪われました。
と言って丘の上には精神的にも物理的にも彼らの居場所はなく、そこがかつて豊穣な海だったとは到底信じることができない「死の海」の上に今もその生活を営み、アクセサリーなどを細々と売ったり、物乞いをしたりしながら生計を立てているとのことでした。

複雑な気持ちを抱えながら、バジャウのコミュニティを後にして松田さんとバジャウの皆さんと、西に船を進めること2時間。そこには本来あるべき海の姿と、バジャウの人々の姿がありました。
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写真はバジャウ族ではなく、Tarokichiであります。青い空と海が似合う男やなぁ。

この美しい海を眺めていると、本来なら人を豊かにするはずの経済合理性が、人々から様々なものを奪い、傷つけ、損なっていく矛盾と不条理を思わずにはいられなくなります。

そしてその不条理に出会った時の僕たちの反応もまた不条理に満ちている。そんな気がしています。

「彼らは自分たちとは違う」

「彼らの今の境遇は、彼ら自身の怠惰がもたらした結果なのだから、その不利益もまた彼ら自身の責任において引き受けていくべきだ」

という差別・偏見は言わずもがなですが、

そのことについて感傷的になったり、その当事者を憐れんだり、その境遇に同情することで、本当に見なければいけない現実から目をそらすことも、何か違う


ある人たちが不幸である、惨めである、怠惰である、という前提から始まる世界は、
自分と他者との間に決して越えられることのない境界線を築いて、
その境界線越しに他者や事象を眺めるまなざしが、必然的に対象を「見下す」視線にならざるを得ないという暴力性を受け入れることを、その対象に強いるという、何重にも張り巡らされた暴力の網の目の中に、自分自身とこの世の全てをからめとってしまう世界を意味します。

けれど同時に僕たちはみんな、多かれ少なかれ弱くて傷つきやすいので、
そういう悲しい網の目をいろんなところに張り巡らせて、
自分の理解の及ぶ範囲のものだけを自分の周りに並べることで、
辛い現実から目を逸らしつつ、どうにかこうにか毎日をやり過ごしています。

でもそのことが、知らず識らずのうちにたくさんのひとを傷つけたり損なったりしていることもまた逃れようのない事実だし、
そういう他者の振る舞いに傷つき、損なわれ、時に立ちすくんでしまうのもまた事実。

だから僕たちが、自分の理解や想像を超えたところにある物事に出会った時に大切なのは、
「それは自分の理解や共感の範囲を超えている」という事実をきちんと受け入れて、
できることならその場所に自分の身を置いて、その人々と同じ時間を共有し、
今、この場所でその人たちが見ようとしているものを見ようとする

ことなのではないかと思っています。

僕たちが経済的な繁栄を享受している一方で、バジャウの人たちはこの美しい海を転々と漂流しながら
波の音を聞き、海に潜って魚をとり、風と話し、歌を歌い、踊り続けてきました。

そしてそれはきっと、とても素敵なことなんだと思います。


洋上のスラムには、冷蔵庫や洗濯機や、テレビやエアコンがない代わりに、子供達の屈託のない笑顔、強いコミュニティの絆があります。
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僕たちの社会が今、懸命に取り戻そうとしているものを大切にしながら生きている社会があります。
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ここの人たちは本当に家族を大事しているってことがひしひしと伝わってきます。

より豊かになりたいと願い、ストイックに生きることを善しとする生き方と
所与のものから最大限の快楽と愉悦を享受しようという生き方。

相反する二つの価値の結節点に松田さんがいて、
そこを僕たちのような旅人が訪れ、
バジャウの人たちの獲った魚を一緒に食べて、
波の音を聞きながら、太鼓のリズムに身を委ねているとき、
少なくとも僕の中では、彼我の差異は完全に相対化されていました。


僕にはゴミにしか見えない空き缶で作られた打楽器が素敵なリズムを奏でる。そしてダンスが始まる。

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バジャウの皆さんがとってきて調理して振舞ってくれた新鮮な魚介類。あの◯モの姿も。

けれどどれだけ努力したところで、僕は決してバジャウ族にはなれないし、
おそらく経済的な豊かさを手放すこともできないし、
自分が価値ありと信じているものを疑うことから逃げてしまう。

だからこそ、逆説的ではあるけれど、その事実を涼しく受け入れることからしか、本当の意味での異文化理解は始まらないのだろうという気が、今はしています。

そして異なる文化や宗教に限らず、すぐそばにいる愛しい人や家族や友人、仲間でさえも、
僕に知ることができるのはそのほんのひとかけらにしか過ぎず、
それでもその人が大切な人だと思うから、その人が触れているものに触れ、感じていることを感じたいと願う。

私には、この人のことがわからないし、これからもわかることはないかもしれない。
でもこの人のことをもっと知りたいし、この人を失うことは悲しい。

そう思える存在が一人でも多くいてくれる世界は、たとえ物質的には満たされていなかったとしても、とても豊かで生きやすいものになるんやろうなと思うのです。

そして僕が昨日訪れた、海の上のスラム街は、そんなちっちゃな自分の手持ちの物差しでは簡単に測ることのできない豊かさで溢れていたのでした。